20代前半だった頃、三菱自動車の期間工を初めて体験しました。アルバイト以外で正式に働いた初めての職種です。
これが期間工になった初めての会社でもありました。もう20年近く前のことですが、その頃のことを朧気ながらも思い出してみてどのような仕事だったかを書き綴ってみます。
良かった思い出と悪かった思い出が相対的にありますが、比重でいうと良かったと思えることが多いです。とにかく大きな体験でもありました。
私は期間工から自動車の設計へと転身出来ましたが今、憶えばこれがずっと自動車産業から抜け出せばくなる人生のターニングポイントでした。
就職が困難だった時期
時はいわゆる就職氷河期世代(ロスジェネ)と言われている時代で団塊ジュニア世代などとも言われる70年代後半生まれの人間です。
90年代後半、氷河期のピーク時には有効求人倍率が1.00倍を下回り就職内定率も7割を切った時期でした。高校を卒業後、進学しましたが中退し、ろくなスキルもない時点では職業をえり好み出来る立場ではなかったのです。
そんな中、ある求人誌の間裏に1ページ丸ごとデカデカと載っていたのが、三菱自動車の期間従業員採用の広告でした。
正確な数字は覚えていませんが、入社祝い金数十万とあったのです。
まさにニンジンをぶら下げられた馬のように迷わずエントリーしました。取りあえず口座に給料が振り込まれるまでの期間約2ヶ月踏ん張れば、給与+入社祝い金等数々の手当を含めた数十万が頂けたのです。若い人にとってはおいしい話だと思いませんか?
面接についてはまったく思い出せないのでどんな格好でどのような面接だったか全く書くことが出来ませんが、採用はされました。
そして九州から遠く離れた愛知県へと赴任したのです。
岡崎製作所
今もなお稼働している所で当時は岡崎工場という名称だったと記憶しています。
かなりの敷き地面積をほこり、まず第一印象としては「かなり広いところだな。」という実感がありました。
現在はセダン市場から撤退していますが、働いていた当時はセダン車の製造も行っていました。今でも残っている車と言えば、RVRのみのようです。しかも製造は岡崎から水島へ移管されています。
当時はGDIエンジンという世界初の燃料直噴式のポスターが大々的に目に付いたのを記憶しています。
燃費向上の先駆けだったのですが、環境負荷低減に対応できず今では生産されていません。しかし、他社メーカーが直噴エンジンの開発に乗り出したきっかけにもなった画期的なエンジンでした。
配属された組み立て課
若いということもあったのでしょう。ライン先頭の組み立てに配属されました。
初めに担当になった工程は車のボディーの中に体を乗り入れW/H(ワイヤーハーネス:配線のことです)をひたすら結線していくところでした。
初めて働く自動車の工場でいきなり洗練を受けた気分でした。滅茶苦茶キツかったです。中腰になってボディーの中に上半身を乗り入れるのですが、腰の疲労が半端なく、まあまるで使いもにならなかったと思います。
全然間に合わないので、同じ期間工から「これやっとくから先やれ!」と怒鳴られてばかりでした。
2~3日だったと思いますが、社員がこりゃダメだと判断したのでしょう。別の工程に移されました。そこはまさに組み立てラインの一番先頭。溶接や塗装が終わってさあ組み立て開始という場所でした。
けれどこれが幸いしました。社員でも限られた人しか出来ない超スピードを要求されるところでしたが、私はこの工程をあっさりマスターすることが出来ました。
速い作業スピードが必要でしたが、工程の作業量が圧倒的に少ないのです。先頭だということもあって追い上げることが出来ない為でした。
私がここをあっさり出来るようになったのは若さゆえということもありますが、いくつか理由が。
- ボンネットを開けてボンネットを支えるロッドをインパクトで組付けW/Hの取り回しが少々という作業量
- 中腰にならなくてよかった
- 若かったのでスピードの持続性があった
- 教わった社員がスゴク上手かった
- この工程専任にしてもらえた(覚えることが極端に少なかった)
というわけで満了までこの工程で凌ぐことが出来ました。(ボンネットが落ちてきて頭を打って大量出血なんて出来事もありましたが)
そして後に経験するトヨタで分かるのですが、生産技術(通称:生技)がそれ程良い環境ではなかったというのが強烈なインパクトとして残っています。
要は効率よく組み立てがなされていなかったという印象です。この場合、工員の疲労や怪我に繋がります。
通勤
寮まで大型のバスが定刻に迎えにきていました。ですのでほとんど歩くこともありませんでした。
私は週末色々と出歩きたかったので現地で自転車を調達していました。自転車で通勤していたこともあります。
暑い中や寒い中、自転車で通勤していたので、年上の同期入社の人達からは「変わっているヤツ。バスの方が楽でしょ?」とよく言われていましたが、若かったので見知らぬ土地を見て回るのが好きだったんですよね。
平坦な道を行くだけでしたのでそれほど疲れもしませんでした。けど安城市から岡崎市までと隣の市までの距離だったので、仕事の始まる2時間前ぐらいには出てましたね。当時は元気がよかったんでしょうね。今この年だと絶対にやれません・・・
寮生活
この時期は安城市に寮がありました。今は無いようです。
部屋は1部屋で2人。昼勤者と夜勤者を1つの部屋に住まわせるという完全にタコ部屋・・・けど部屋は白い壁、絨毯があってトイレ付で綺麗でした。
もう一つの建物は一つの部屋の入口に3部屋。これは自動車の期間工でよくあるタイプの部屋です。こちらは一人一部屋でプライベートな空間になっていました。
風呂は大浴場。朝は管理人夫婦の寮母さんが作ってくれるご飯付き。
私はタコ部屋の方でしたが、特に不自由は感じませんでした。同郷の人と同じ部屋だったということもあり、逆にお互い助け合い和気あいあいと過ごせました。
そして同期入社の方たちの半数以上と顔見知りになり、週末の休みはメチャクチャ楽しかった思い出があります。
この時出会った人たちには本当に沢山お世話になったものです。覚えている人達を列挙してみます。
・プロのスタジオミュージシャン。後に押しかけの弟子になって20代の音楽生活の支えになってくれた方。ギターのお師匠さんです。
・元外務省勤務。イエメンという中東の国からタイに仕事が移り、そのタイにハマってしまって退官。タイで詩人として活動していました。
・タイ人と結婚されて出稼ぎの為、三菱の期間工に。大らかな性格でよく一緒に食事をしました。
・弁護士になる為、司法試験の勉強を期間工をやりながら成し遂げていた高学歴の方。
・元レスキュー隊で酒豪。いろんな店に連れて行ってもらいました。
・親の遺産でアルゼンチンに旅をしてから帰国していたブルース好きのオヤジさん。上に書いた元レスキュー隊の人と部屋で鍋を囲んだ際、ガチの殴り合いの大喧嘩。止めるのに大変でした。
・同郷で同い年の元反社会勢力だったやつ。嫁の為に堅気になって赴任。喧嘩がガチで強かった。夜のお店でも仲間の守ってくれる頼りがいのあるやつでした。
・世界20カ国以上を廻っていたバックパッカー。頼りなさげな印象でしたがとても優しい方。
・沖縄で三線を作っている実家の為、設備費を貯めに来ていた音楽好き。体毛が金色でした。
まだまだ個性派な人達がそろっていましたが、こんな人たちと過ごす週末がたまらなく楽しかったです。
なので一日も休まず仕事が頑張れたんだと思います。
無事に満了
1年という区切りで契約更新せず満了しました。班長からはもう1年ぐらい頑張らない?と引き留められましたが、もう十分お金も貯まっていたので延長はやんわりとお断りしました。
この時に教わったのが雇用保険の給付というやつです。昔は失業手当などとも言ってました。
昔は半年で貰えましたが、現在は1年間雇用保険に加入していないと受給資格がありません。
皆さん結構この雇用保険を当てにしている人たちがわんさかいました。
そういう私もこの雇用保険のうま味を知り、20代前半は期間工スパイラルへと堕ちていくのでした。
期間社員優良満了者証
というカードを頂きましたとさ。というだけの事ですが、当時の物が綺麗に残っていました。
このカードに書いている通り、再度応募した時には面接が簡単にパスされるという代物だと思います。
これ以降、三菱の門を叩くことはなかったので効果のほどは分かりません。そして私が働いていた当時の物ですので今こんなものは配布していないんじゃないかと思います。
こちらの方が最近の三菱に関して詳しく記述されています。
現在の三菱自動車 岡崎製作所の期間工待遇
三菱の期間工は相変わらず入社祝い金の手当が厚いようですが、満了金や経験者手当を含めた金額のことなので要注意です。求人は色々な会社に委託しているようなので、入社祝い金が一律ではなさそうですし、変動も多いようです。実際頂ける入社祝い金は25万となっているところが多いです。
ある求人を委託されている会社の月収例ですが、
基本時給:1,090円/時 (8時間×21日) 183,120円
交替(夜勤)手当:283円/時 (8時間×10日) 22,640円
深夜手当:327円/時 (6時間×10日) 19,620円
残業手当:1,417円/時 (1.5時間×23日) 48,887円
休出手当:1,526円/時 (8時間×2日) 24,416円
満期慰労金:6ヶ月毎に38万~56万円(※) (1ヶ月当り) 63,333円~93,333円
となっており、ベースとなっている時給は低いものの満了金は6ヶ月ごとの契約更新するごとに上がっていくシステム。
ただし、多くの工程がキツイというのは昔から変わってないようで、かなりの人が短期で辞めていくのも事実としてよくネットに掲載されています。
ですのでまず三菱は短期決戦を試みるのが良いかと。6ヶ月を目安に短期間でお金を貯めたいという方にはうってつけの期間工職だと思います。
なぜ6ヶ月なのかというと求人を出している会社で入社祝い金の支払い方がかなり違ってくるのですが、とりあえず3ヶ月経った後、3ヶ月の契約更新すると入社祝い金の全額がもらえるような仕組みになっているので最低期間6ヶ月を推奨します。
もし、仕事が続けられるような工程であるなら、契約更新を続けてフル満了目指すという方針に変えれば、給与とは別に約3年の期間で300万という額が手に入ります。完成車両工場ではトップクラスです。